私の転機について

最初にやってきた私の転機は、父親が体調不良により何度も公共交通機関で倒れてしまい、救急車で病院に運ばれる…という状態になった時です。当時、一緒に住んでた母も小学生だった一番下の弟も、坂が多い神戸なのに自転車しか運転できず、他の妹・弟も事情があって動けなくて、私が辞職して、転勤族な家族の元に帰るコトに…。何のコネもない神戸に行って、市役所での保育士登録はしていましたが、なかなか求人がなくて保育士として働けなかった間には、飲食店や量販店での接客・販売などの仕事もしました。
次は、交通事故に巻き込まれてしまい1年近く入院生活を余儀なくされてしまったコト。後遺症により、以前と同じように保育業務を現場でこなすコトが難しくなり、保育士としての社会復帰は諦めざるを得ませんでした…orz約2年間の自宅療養も経てから、リハビリも兼ねて飲食店での2時間のアルバイトから始めて徐々に働く時間を増やし、8時間勤務もできるようになったので介護の世界へ…。

私の過去に起こった主な転職時期に+1 !

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私の転機について
最初にやってきた私の転機は、父親が体調不良により何度も公共交通機関で倒れてしまい、救急車で病院に運ばれる…という状態になった時です。当時、一緒に住んでた母も小学生だった一番下の弟も、坂が多い神戸なのに自転車しか運転できず、他の妹・弟も事情があって動けなくて、私が辞職して、転勤族な家族の元に帰るコトに…。何のコネもない神戸に行って、市役所での保育士登録はしていましたが、なかなか求人がなくて保育士とし
私の現状について
今も本職はヘルパー2級の資格を活かしつつ、3年の業務経験で更なる上の介護関連資格取得を目指して派遣で働いてる介護スタッフな私。並行して、こうやってライターさせてもらってたり。地域活性化で有名な山崎亮サン率いる「studio-L」+福山市役所+福山市民による中心市街地活性化を目的とした、約100人規模のプロジェクト『フクノワ』に(ボランティア)コーディネーターや複数のチームメンバーとして参加したり。
次の転職について
「人生は、だいたい80年間」と言われていて、40歳は丁度折り返し地点ですよね。今までの私は、親→先生→社長などの上司や先輩…とヒトに従う毎日だったし、これからも暫くは色んなヒトに従わないと生きてはいけないカモしれないケド…。経営者や管理者などの色んなヒトとの関わりの中で多種多様な体験をさせてもらいつつ、志を同じくする仲間たちの作り方や巧いコミュニケーションの仕方を取得したいとガンバっています。社会